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2021年02月04日(金)

国旗損壊罪

 

こんにちは、品川区議会議員松本ときひろです。

本日は、今話題の国旗損壊罪について取り上げたいと思います。

 

先日、報道リアリティーショー #アベプラ に出演させていただきました。

■日の丸を傷つけたら罰則!?提案した保守団結の会 長尾たかし議員VSひろゆき

https://gxyt4.app.goo.gl/EpiL5

 

        引用:アベプラより

 

Twitterでこの問題について頻繁に発信していたことから呼んでいただいたのですが、国旗損壊罪については、所属政党の見解ではなく、個人の見解なので政党名は出さないようお願いしたところ、なんと、紹介文に「バーチャルユーチューバー」と記載していただきました。

 

引用:アベプラより

 

実は、この紹介文が出ていること、私は番組終了後まで知らなくて、スタジオで「バーチャルユーチューバーなんですね」と他の方から聞かれてめちゃくちゃきょどってしまいました。

「え、有名な別の議員系Vtuberの方と間違ってない?」と。

でも番組中の紹介文に書いてあったんですね。

 

ということで、Vtuber議員の動画で、番組では話しきれなかった国旗損壊罪の論点について取り上げました。

 

【第28回】国旗損壊罪【Vtuber議員マツモトトキヒロ】

https://youtu.be/l0xM9vNpqpA

 

このブログは、Vtuber議員の動画原稿を微修正してUPしたものです。

 

取り上げる論点は以下のとおりです。

1.立法事実、経緯

2.保護法益

3.そもそも外国国章損壊罪は必要か

4.法案の内容と立法機関としての無責任

5.運用上の困難、萎縮効果

6.国旗損壊罪が損壊行為を助長する?

 

0.前提

 

まず、前提として、私自身、国旗を損壊する行為について強い嫌悪感を持っています。

国旗、そしてその背景にある我が国の歴史に誇りも持っています。

一方で、国旗損壊罪のような愛国心に関連した議論が出てくる時に、反対派の急先鋒に立つのは、元々日本が嫌いな、あるいは反日的な人が少なくないことも重々承知しています。

そういった人々と同一視されることは極めて苦痛です。

 

では、今回なぜこうもTwitter等で声を上げているかですが、一つの理由は、いわゆる「リベラル」の人々が、自分達が嫌悪する表現の場合は、規制すべきと叫ぶのに、国旗損壊罪のようなものについては、大反対のキャンペーンを張る、ダブルスタンダードが見られるからです。

同じようなダブスタ問題は、別の表現が問題になる際に、いわゆる一部「保守」の方々にも見られます。

表現の自由の問題でダブルスタンダードが起こると、論理としての整合性が破綻します。

また、主義主張によって表現内容規制の基準を変えるとなると、萎縮効果も生まれます。

だからこそ、心情的に許し難いと思う表現の時こそ、表現の自由を重視する立場の者は、規制の動きについて声を上げる必要があると考えています。

また、後ほど触れていきますが、そういった立場だからこそ出てくる論点もあります。

 

さらに、国旗損壊罪は、表現の自由の問題であると同時に、「規制」の問題でもあります。

私は、日本の発展のためには、規制は必要最小限で、可能な限り国民の自由な発想、行動に委ね、それによって各種イノベーション促すのが良いと思っています。

中でも刑事罰を新たに創設する場合は慎重な検討が必要だと考えています。

国旗損壊罪も規制であることに変わりはありません。

規制を正当化できるか否かの検討過程を「これは例外なんだ」と飛ばすべきではないと考えます。

むしろ、国民感情的には立法して当然と思える規制の時こそ、慎重に検討していくのが良いと考えています。

 

以上を前提に検討していきたいと思います。

 

1.立法事実、経緯

 

まず、立法の経緯です。

新たな立法をするからには、その法律が必要だといえる事情、立法事実が必要となります。

たとえば、アベプラに出演されていた長尾敬議員が安保法制の話をしていたので例にとると、安倍前首相は安保法制の必要性について「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」を一つの理由として挙げていました。

こういった理由で納得できるかは当時も議論があったところですが、少なくとも、新たな立法をするには、社会状況の変化、現実に起こっている問題など立法の必要性が求められます。

特に、規制、その中でも一番制裁としての効果が大きい刑事罰を科す立法については、きちんと必要性を検討しなければなりません。

 

国旗を損壊する行為を想定するとどうしても心情的に規制して当たり前と考えてしまいがちなので、規制一般から考えてみたいと思います。

 

規制というのは人の行動を制約するものです。

また、規制には濫用される懸念が常に付きまといます。

規制があることで既得権益を得る人々が出る可能性があります。

規制を作ることでその規制を守らせるための人手も必要になります。

人的リソースは有限です。

更に、法案提案者には新たな規制を作ることで自身の実績アピールにつなげようという思惑が働くこともあります。

 

そもそも、規制を破ったことに対する効果、制裁は刑事罰だけではありません。

 

■規制、ルール違反に対する効果・制裁例

・社会的制裁(炎上、村八分等)

・行政指導

・勧告、指示、公表

・行政サービス、許認可の拒否

・行政罰

・刑事罰

 

新型インフルエンザ等特別措置法の改正でも、刑事罰ではなく行政罰が選ばれました。

国旗損壊罪の法案では、何も規制がなかったところからいきなり刑事罰が想定されています。

では、現在、国旗を損壊する人が頻発していて、新たな立法をしなければどうしようもない状況かといえば、そんなことはありません。

損壊するような人は我が国にはほとんどいません。

禁止しないと秩序が維持できないような国と違って日本国民は善良です。

むしろ、損壊するような団体や個人は、社会から総スカンを食らうでしょう。

社会的制裁です。

自国のであれ他国のであれ国旗を燃やして喜ぶような文化は、我が国にはありません。

ごく限られた一部の非礼な人々のために、新たな規制、刑事罰を立法する必要性があるだろうか、と私は思うのです。

 

しかも、この法案は、損壊行為を抑止するどころか助長する危険性もあると考えています。

反日、反政府勢力側も、これまでは日の丸を焼く行為に意味を見出せなかったところ、このような立法がなされると、自分達の組織内で英雄視されるために焼損する動きが出るのではないかと危惧しています。

この点は、後ほどもう一度触れたいと思います。

 

法案提出の経緯についても考えてみたいと思います。

 

■法案提出に関する時系列

2012年 野党自民党、国旗損壊罪法案提出

   同年 自民党政権復活

      以後8年間法案は提出されず

2020年 「保守団結の会」新設

   同年 菅内閣発足、支持率低下 

2021年 保守団結の会、法案再提出の動き

 

この法案が最初に提出されたのは2012年、自民党が野党の時です。

その時、国内で日の丸が燃やされて問題化していたということもなかったと思いますし、それ以前の自民党与党時代に提出されたこともありませんでした。

そうすると、政権奪取に向けた人気取りと考えるのが妥当ではないでしょうか。

そして、その後、201212月に政権に返り咲いた自民党は、この法案を提出しませんでした。

あれだけ支持率が高かった安倍政権下では提出せず、8年以上経った、政権支持率が低下した今になって提出を試みています。

 

さらに、この法案提出を主導しているのは、自民党内の「保守団結の会」というグループです。

このグループは昨年6月に結成されています。

それまで稲田朋美議員と「伝統と創造の会」を構成していた人達の一部が、稲田議員の選択的夫婦別姓賛成のスタンスに反発して結成されたようです。

新たな組織として保守層にアピールが必要な状態です。

ここまでの背景を見ていくと、国家国民のために立法しなければならないというよりも、自分達のグループの求心力向上、支持獲得のための法案に、私には見えてしまいます。

 

2.保護法益

 

次に、保護法益の点から考えていきたいと思います。

保護法益とは、規制等を作ることで保護しよう、実現しようとする利益のことです。

報道等を見る限り、国旗損壊罪を創設する理由として挙げられているのは、外国国章損壊罪とのバランスです。

外国の国旗を燃やせば逮捕されるのに、日の丸を燃やしても逮捕されないというのはおかしい、同じにすべきだという理由です。

一見その通りに見えますが、両者は保護法益を異にしています。

外国国章損壊罪の保護法益は、日本の外交上の利益だとする説が有力です。

日本国内で他国の国旗を燃やすような運動が広がれば、その国との外交上の問題が生じる可能性があり、それを防ごうという趣旨です。

実際、1950年代に中国との間で外交問題になっています。

 

では、国旗損壊罪の保護法益は何でしょうか?

外交は関係ありません。

提案者側の話を聞いている限り、日本国民の国旗に対する畏敬の念、集団的名誉感情といえると思います。

 

そうすると、国旗損壊罪が近いのは、外国国章損壊罪ではなくヘイトスピーチへの刑事罰化ということになるのではないでしょうか。

提案者側は、それは違う、国旗は特別なんだと仰られると思いますが、逆にヘイトスピーチ刑事罰化を求める人の中には、ヘイトスピーチは人権侵害、国旗損壊は人権侵害ではないと述べる人も少なくありません。

少なくとも、国旗損壊罪が成立すれば、民族のシンボル、宗教のシンボルも保護すべきだという動きが生まれるでしょう。

ヘイトスピーチ規制の立法不作為国家賠償訴訟で、国旗損壊罪もあるのだからヘイトスピーチ刑事罰化をしないのは国会の作為義務違反だという主張も出てくるのではないかと思います。

 

これは日本の表現規制全体に関わる問題だと思います。

この点を考察するために、少し外国に目を移してみたいと思います。

集団的名誉感情と表現規制に対するスタンスというのは、欧州とアメリカで大きな差があります。

今回、提案者側は、国旗損壊罪は他の多くの国にもあるんだと主張しています。

高市早苗議員のホームページに一覧が載っています。

 

■高市早苗議員コラム

https://www.sanae.gr.jp/column_detail1293.html

 

その中にアメリカも含まれています。

私は、この辺りも、提案者側は極めて不誠実だと思います。

実は同じような一覧は、2011年の河野太郎大臣のブログにも載っています。

 

■河野太郎大臣ブログ

https://www.taro.org/2011/03/post_935

 

アメリカの項目に「ただし、適用違憲の判例あり」と明記されています。

高市議員がこの適用違憲を知らなかったとは考えられません。

しかし、高市議員のブログにはそんな記載はありません。

あたかもアメリカで星条旗を焼けば逮捕されるかのように読めます。

 

繰り返しになりますが、集団的名誉感情を保護するための表現規制に対するスタンスは、欧州とアメリカで全く異なります。

フランスやドイツには、国旗損壊罪があると共に、ヘイトスピーチ規制も広範に認められています。

表現の自由よりも集団的名誉感情を優先しているといえます。

一方、アメリカには、ヘイトスピーチに対する罰則がありません。

国家規制ではなく言論には言論という姿勢があります。

国旗損壊について、アメリカでも確かに1989年に国旗保護法が制定されました。

しかし、その翌年の1990年には、国旗保護法に抗議して星条旗を燃やした人等に、国旗保護法を適用することは違憲であるとの判決が出ています。

ですから、アメリカでは今も星条旗を燃やしたからといって、国旗保護法で検挙されることはないはずです。

実際、デモや抗議活動で星条旗が燃やされているのを皆さんも報道でご覧になられたことがあるのではないかと思います。 

 

このように、集団的名誉感情を保護するために刑事罰を立法するということは、他の集団的名誉感情保護法制の誘引になります。

こういった問題提起は、いわゆる「リベラル」からは出てきにくいと思います。

彼らはむしろヘイトスピーチ刑事罰化を推進したい立場だからです。

提案者側、「保守団結の会」は、ヘイトスピーチ刑罰化には反対の立場なはずです。

国旗損壊罪がヘイトスピーチ刑罰化推進の端緒となり得ることをもっと自覚されるべきではないかと思いますし、そういった状況を生み出す法案が、新型コロナウイルス禍である現在、本当に必要なのか考えていただきたいと思います。

 

3.そもそも外国国章損壊罪は必要か

 

また、外国国章損壊罪とパラレルに考える、バランスを取るという事であれば、外国国章損壊罪には、外国政府からの請求がなければ公訴できないという条文が入っていることも押さえておくべきでしょう。

 

■刑法92条 外国国章損壊罪

第1項 

外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

第2項

前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

 

国旗損壊罪について、日本政府からの請求を要件として入れるというのはおかしなことになりますので、この要件は入らず、外国国章損壊罪より公訴提起のハードルは下がることになります。

 

そもそも、表現の自由の観点からいえば、この外国国章損壊罪の方が、存在意義を問われるべきだと思います。

この罪が作られたのは明治時代です。

まだ日本の力が弱かった時代。

そんな時代に、排外主義が盛り上がり、たとえばアメリカやロシアの国旗を国民が大量に燃やし始めたらどうなるでしょうか。

列強の内政干渉の格好の餌食になるでしょう。

だからそういった事態を防ぐために、日本のために必要な法律だったといえます。

ですが、戦後はどうでしょうか。

この罪で起訴されたのは戦後数人しかいないそうです。

最後の起訴は昭和40年代との情報も。

50年起訴事例がないんです。

わざわざ表現を制限するような規制を残しておく必要があるでしょうか。

 

国旗損壊罪がないことは、日本の卑屈な態度の表れだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私からすれば、明治時代の、我が国が弱かった頃の規制を残していることの方が、余程卑屈であるように思われます。

外交上の利益は、規制ではなく、外交上の説明、毅然とした態度で守る方法もあるでしょう。

すなわち、我が国は国内での表現の自由を最大限尊重している。

それは国是でもある。

国旗の自国、他国は関係ない。

国内で他国の国旗が燃やされることもあるかもしれないが、国家として損壊行為を助長する趣旨ではない。

あくまでも国民の表現の自由の範囲内であると。

実際、アメリカも、フランスも、中国も、外国国章損壊罪を定めていません。

政府が毅然としていれば、外国国章損壊罪なんてなくても大丈夫なんです。

 

4.法案の内容と立法機関としての無責任

 

次に、法案の中身について考えていきましょう。

国旗損壊罪の法案はまだ国会に提出されていませんが、高市議員のブログを読む限り、2012年に提出したものと同じものを再提出しようとしていると思われます。

 

■2012年提出時国旗損壊罪 刑法第94条の2

日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

 

アベプラでは、たとえばお子様ランチの日の丸を損壊した場合はどうなるのかなどの話が出ました。

長尾議員は「社会通念上」罪に問われることはないと述べました。

おそらく他の推進派の議員も同じ回答をするでしょう。

 

しかし、これは、立法機関の人間として極めて不誠実な態度だと私は考えます。

侮辱の目的をもって、お子様ランチの旗を燃やした場合、法案を読む限り、国旗損壊罪に該当すると読めます。

国旗の定義について法案には記載されていません。

立法機関の重要な役割の一つは、規制の対象について、行政が逸脱濫用しないよう、可能な限り明確にすることにあります。

「社会通念上」と運用、解釈に丸投げする態度は、立法機関として無責任です。

 

これは、外国国章損壊罪と比較するとよりはっきりします。

先程述べた通り、外国国章損壊罪は、明治に立法されています。

極めてシンプルな条文になっています。

それこそ、お子様ランチに刺さった星条旗を侮辱目的で破っても、犯罪が成立するように読めます。

そこで、学説や実務上の運用によって限定的に解釈されてきました。

たとえば、自己所有の国旗を損壊しても本罪には当たらないと解釈されています。

新しく作る法律である以上、過去の外国国章損壊罪の解釈上の制限、運用を法文に明文として盛り込み、国民が処罰対象を適切に認識、予測できるようにすべきです。

ところが、提案者側にこのような努力の形跡は一切見られず、明治時代の法律をそのままコピペするという態度です。

 

また、自己所有の国旗を損壊しても罪に問われないという現在の運用を前提にすると、実は提案者側の問題意識は解決できないことになります。

現状でも、他人の所有する国旗を損壊する行為は、器物損壊罪に問うことができます。

 

刑の重さは、器物損壊罪 > 外国国章損壊罪 です。

 

そうすると、提案者側が罰したいのは抗議デモ等で日の丸を損壊する行為だと思われるのですが、外国国章損壊罪の解釈を前提にすると、自己所有の国旗の損壊は罰することはできません。

何のための法律なんだということになります。

提案者側は、外国国章損壊罪の保護法益とは異なるのだから解釈も違うのだと言うかもしれません。

まあそうなると外国国章損壊罪とバランスを取るために立法しようとするそもそもの理由部分がおかしなことになるのですが、もし自分の所有する国旗の損壊行為も処罰対象に含めたいということであれば、それが明確になるような条文を作るのが立法機関の責任であるはずです。

しかし、こちらもそういった努力の形跡は一切見られません。

 

5.運用上の困難・萎縮効果

 

いずれにせよ、解釈・運用によって処罰対象が広くなり得るということになると、行政による規制濫用の危険性が出てきます。

提案者側は、侮辱目的という構成要件上の制限があるから大丈夫と主張するかもしれません。

しかし、行為者が侮辱目的ではなかったと主張してもそれがそのまま通るとは限りません。

たとえば、侮辱目的ではなく日本政府への抗議目的だったんだと供述した場合、無罪とすることは、提案者側の望むところでしょうか。

侮辱と抗議は紙一重です。

そして、こういった目的規定が、恣意的に拡大解釈され得ることは、香港の国家安全維持法を巡る逮捕劇を見ていれば容易に想像ができます。

 

また、処罰対象が解釈・運用次第ということになると、萎縮効果も危惧しなければなりません。

この萎縮効果は、実際に法律に触れるか否かというレベルだけではありません。

たとえば自粛警察との関係です。

日本は、新型コロナウイルス感染症流行第一波を罰則なしの緊急事態宣言で乗り切りました。

これは他の多くの国では考え難く、欧米では、ご存じのとおり罰則付きのロックダウンでの対応が多く見られました。

それでも、法律を破って多人数でイベントをやり、警察と衝突なんてニュースもご覧になられたのではないかと思います。

日本人というのは、規範、ルールに対する順応能力が極めて高い国民だと思います。

これは、誇るべき点です。

一方で、その規範に過剰に適応してしまう面もあると思います。

その例が、自粛警察です。

最近ではマスク警察に留まらず不織布マスク警察まで登場してしまいました。

規制を考えるとき、こういった付随的効果まで考えるべきでしょう。

仮に国旗損壊罪の構成要件に当てはまらないとしても、その行為は国旗を侮辱する行為だと炎上しかねません。

そういった自粛警察が生まれてくると、むしろ日の丸を扱いづらくなるのではないかと思います。

たとえば、国を擬人化した某マンガ・アニメが韓国で炎上しました。

国旗を擬人化したプロジェクトも既に出てきているのですが、国旗損壊罪という批判の根拠が生まれることによって、擬人化も不謹慎だ、やめるべきだという空気が生まれる可能性があります。

日の丸を使ったちょっとしたパロディも炎上する可能性が出てきます。

そういった炎上可能性を懸念して、作り手、というより出版社やテレビが、萎縮する可能性があります。

そうなると、むしろ日の丸は国民から遠くなってしまうのではないでしょうか。

 

6.国旗損壊罪が損壊行為を助長する?

 

次に、国旗損壊罪がむしろ国旗損壊行為を助長するのではないかという点です。

現在、日の丸を燃やす人は国内にほとんどいません。

繰り返しになりますが、そんなことしても自己満足にしかならないし、むしろ多くの国民から非難される、社会的制裁を受けるからです。

何らかの社会目的を実現しようとする団体にとってデメリットしかありません。

また、反日組織、反政府組織の内部でも、別に日の丸を焼いたからといって、他の構成員から評価されるといったことは特にないでしょう。

 

しかし、これが刑罰化されると事態は一変する可能性があります。

反日、反政府組織の構成員にとって、日の丸を焼く行為は、日本に、国家権力に抵抗しているシンボルになります。

逮捕されれば、団体内部で英雄視されることになります。

反日活動家でなくとも、法律が通過した直後、注目を集めるためにYoutuberが燃やすかもしれません。

国旗損壊罪制定への抗議として燃やされるかもしれません。

実際、先程述べた、アメリカの国旗保護法の場合も、1990年に適用違憲となった事例の一つは、1989年の国旗保護法制定に抗議して星条旗を燃やした人が被告人です。

逮捕者が出れば、違憲訴訟という流れになるでしょう。

国家賠償訴訟も提起されます。

記者会見を開き、クラウドファンディングでお金を集めるでしょう。

儲かるのは訴訟を担当する弁護士、そして場合によっては反日、反政府組織です。

 

こういった混乱が容易に想像できるので、違憲訴訟を避けたい警察・検察は、国旗損壊罪を限定的に解釈・運用することになります。

戦後、外国国章損壊罪を限定的に解釈・運用してきたのと同様の扱いです。

そうすると、今度は「保守」系の人達が怒り始めます。

なぜ国旗損壊罪が創設されたのに逮捕しないんだ、と。

そして次に、そういった保守勢力、警察・検察を挑発したい人たちがどのレベルなら逮捕されるか挑戦し始めることになります。

あるいは、逆に、逮捕されないために、日の丸のデザインを、「国旗及び国歌に関する法律」で定められたものから少しずらして「これは日本の国旗ではなく別物なんだ」と主張しながら損壊し始めるかもしれません。

これは、実際に外国国章損壊罪から逃れるために一部団体が国内でやっているようです。

 

こうなってくると、国旗を大切にすべきという目的で定められたはずが、かえってトラブルを起こすことになりかねません。

このような話、妄想と思われるかもしれませんが、繰り返しになりますが、アメリカでは国旗保護法制定後、抗議で星条旗が燃やされているんです。

ちなみに、アメリカでの違憲訴訟は、損壊した被告人の名前を冠した事件として日本の憲法学会でも知られています。

最初に燃やした人は、有名人になれるんです。

 

7.まとめ

 

色々お話してきましたが、各種論点、懸念のある法案を、新型コロナウイルス感染症禍の現在、審議採決する必要があるのか、私は甚だ疑問です。

もっと国民生活のために検討すべきことは沢山あるのではないでしょうか。

新型インフルエンザ等特措法の改正さえ1年近くかかりました。

たとえばアベプラでご一緒した長尾議員は、昨年、消費税減税をお訴えでしたが、そちらはどうなったのでしょうか。

国民生活のために、国旗損壊罪よりそちらを進められるべきではないでしょうか。

このような国家の非常時に、国民経済、国民生活を向上させるとは思えない法案、国民の愛国心を刺激し自分達の支持を高めようとするかのような法案を提出する国会議員は、果たして真の愛国者でありましょうか。

 

最後に少し私なりの愛国心についてお話したいと思います。

私は、1989年から約1年間、父の仕事の関係で、アメリカで過ごしました。

まだバブル崩壊前で、日本がジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた時代です。

テレビを付ければ日本の自動車、電機メーカーのCMが沢山流れていました。

空港のテレビなんかも日本製品ばかり。

ハリウッド映画などで日本人が馬鹿にされる、偏見のあるような表現をされることもありましたが、当時の企業の時価総額ランキングの上位はほとんど日本企業。

嫉妬なのだろうなと軽く流せる時代を見てきました。

 

今はどうでしょうか。

電化製品は韓国や中国にどんどんシェアを奪われています。

IT、プラットフォームもアメリカに抑えられています。

「失われた20年」と言われていましたが、いつの間にか「失われた30年」に延長されています。

私が政治を志したのは18歳の時ですが、その大きな理由の一つは、落ちていく日本、衰退していく日本の現状が耐えられなかった、悔しかったからです。

この国の未来、子々孫々の繁栄のために、政治を変えなければならない、それが私の愛国心の発露にして政治志望の重要な動機です。

 

母国に誇りを持つことは大切です。

でも、それは国旗そのものではなく、また、過去だけではなく、現在、そして未来に向けたものであるべきではないでしょうか。

少なくとも政治を司る議員は、国民のためにそう考えるべきだと思います。

だからこそ、まさに国難であるこの新型コロナウイルス感染症禍において、野党時代から8年以上も放置した国旗損壊罪の法案を提出しようとする国会議員たちに私は怒りを覚えます。

国民の愛国心を利用するのではなく、国民の生活のため、国家の未来のために働いてくれ、と。

こういった想いがありまして、この1週間、地方議員でありながら発信を続けて参りました。

勿論、表現の自由を守る立場、弁護士の立場で、こういった規制は看過しがたいという想いもありますが、愛国心故にここまでヒートアップしたといえます。

 

今日お話ししたいことは以上です。

一応他にも憲法論もあるのですが、どうしても机上の議論になりますので割愛しました。

本ブログが、皆様にとって、少しでも検討の材料となりますことを祈りまして失礼させていただきます。

お読みいただきありがとうございました。